「コペルニクス的転回」など、カントの批判哲学の全てがここに!自己を主体とする思想が広まった18世紀ヨーロッパ。哲学者カントは、当時台頭しはじめていた、イギリス経験論によって破壊された形而上学を再興するため、人間の理性をめぐる思索をはじめる。「コペルニクス的転回」など、カントの批判哲学の全容が示された三批判書『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』を漫画化!
純粋理性批判 ─まんがで読破─のレビューが0 件あります
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学生時代から社会人になりたての頃、私はいわゆる哲学青年で、色々な書物を読んでは、西欧の知の伝統を把握しようと格闘していた。だがやがて、雑事や他分野の書物に時間を割くようになり、あまり哲学に取り組めなくなってしまった。世事にかまけた結果、変わらず哲学好きではあるものの、青春、反逆、探求の哲学は一休みになり、実用品を評価するように、ちょっと突き放して哲学をみるようになっている。そういうわけで今の私は、自然とできあがった実用品としての哲学ランキングを持っている。上位に来るのは、カント、ヘーゲル、アリストテレスの三者で、職業問わず、立場問わず、専攻問わず、勉強すれば必ずためになる。考えながら生きたい人であれば、外すべきではないマストと思う。全ての哲学者は、後進の同業者によって批判されるので、いきなりそれに触れた場合、結局誰が正しいのか混乱してしまう。しかし思うに、どんな新しい哲学が出ようと、どんな哲学が流行っていようと、現実の生活や仕事において、実用に耐えるだけの包括性や頑健性を持つ哲学は、結局この3人である。体系だった大哲学は、針小棒大に欠陥が宣伝されるが、しかし、職業的な哲学教師が想像するより、日常生活におけるシステマティックかつ常識的な知の効用はずっと高い。だから私は、経済学を征服し、次いで現実の政治経済を征服したベンサムや、世間嫌い増加と共に大人気のニーチェ、非科学!非科学!と知識人の自由を縛るポパーが大手を振る現状を、尻尾が胴体を振り回しているかのような印象を受ける。心の健康を保ち、家族や友人を大事にし、突飛に走らない着実な仕事をし、穏当な社会制度を設計するには、どんなふうに哲学を頼ればいいか。その答えとして、まずはカント哲学に則って整然と考え、ときどき上手くいかないときヘーゲル哲学モードに切り替えて外部や関係性、飛躍、融合に乗り出し、それが重要な見落としや欠けるものがある時は他の哲学者のワンポイント・リリーフで埋め、運用全体のバランスを監督するのがアリストテレス哲学のエピステーメー、フロネーシス、テクネーの区分や徳や卓越性への志向、といった使い分けをおすすめしたい。しかしそうするにも問題がある。カント、ヘーゲル、アリストテレスの三人、いずれも歯ごたえがあって、そう簡単に勉強できないのだ。ここに登場したのが本書マンガで読破シリーズ、カント『純粋理性批判』である。カント哲学をマンガにしようという思いつきだけで壮挙である。しかも、ごまかしではなく、ちゃんと伝えようとしている。マンガで紹介されるカントの結論をまず受け入れ、それに則って考えるなら、物事は非常に捗る。『純粋理性批判』にある「物自体」や「カテゴリ」の考え方、「ア・プリオリ」「ア・ポステリオリ」の区分、「分析判断」「総合判断」の区分は、物事を筋道立てて分析的に考えるのに有効な、一級の実用品である。『実践理性批判』の「定言命法」もまた、社会正義に適った制度設計を考えるうえで今もなお一級の実用品である。じっさい、会話や文章で「カントによれば」と切り出す事態は容易に想定できないものの(そりゃそうだ)、カント哲学に諮った上で結論を出すのと出さないのとでは、大きな違いがでる。私などは毎日のようにニュースをみては「政治家や役人が定言命法が身についてさえいたらなぁ」と思うくらいだ。それはともかく。鑑るに、パソコン時代になって、カント哲学は大幅に理解しやすくなった。というのも、PC以前、カント哲学は抽象的でしようがなかったが、今ではコンピュータの色々な側面をアナロジーとしてカント哲学を考えることができるからだ。たとえば、我々がPC画面を見るとき、その陰では機械およびプログラムが動いているのだが、われわれ一般ユーザはその仕組みを認識することはできない。これはカントがいう「現象」と「物自体」の関係に似ている。あるいはカント哲学にいう「カテゴリ」は、PCでのファイルやオブジェクトが持つプロパティと似ている。コンピュータ上の対象は、いついかなるときでもプログラムが認識するためにしかるべきプロパティ値が備わっていなければならないが、これは、我々が何かを認識するとき、カテゴリを通してしかできないというカントの主張と似ている。一方でカント哲学には、現代においては特に実用的でもないうえ、追及の役目を自然科学に取って代わられた論点がいくつかあると思う。史上有名なアンチノミー論などは、いかにカント哲学にとって重要でも、時代のテストに耐えないと思う。思うに、無限周りの議論は、再びコンピュータのアナロジーで語るなら、熱暴走するプログラム・ルーチンのようにみえ、浮世に身を置く限り拘るべきではない(ヘーゲルやニーチェでも言える)。また、目的論をめぐる形而上学も、その先に実りがあるとは思えない。前足が翼になったり手になったりする生物進化のメカニズムや、DNAが人間になるプロセスを追及するプロセスなど、生半可な形而上学をあざ笑う現実の有り様の研究動向に気を払ったほうが生産的である。自然科学で陳腐化する哲学の論点というのは確実にある。たいていの哲学者たちは、それぞれの時代で最高レベルの科学者としての知見を持っているので、もし生きていたら、そういう論点の無暗な延命は望まないはずである。他書でアンチノミー理解をめぐって難癖をつけているレビューを見たが、ミソもクソも忠実に読もうとして争う哲学書マニアの読み方は、万人にはおすすめできない。時代を超えて自分が迫真性を感じる部分について、重点的に理解するのが良い。最後に何でいまさらマンガか、という話であるが、息子が成長していつの間にか親の本棚を勝手に覗いて・・・を期待してのことである。だが、そこは腐ってもカント哲学。いかにマンガでも、勝手に読んで勝手に理解できる内容でない。しかし、もともとカント哲学に惹かれ、ある程度の内容をすでに把握していれば、見通しが良くなって得るものがある。哲学書を読む者は、最初から最後まで理詰めで形作られた謎の対象を長期間抱え込み、しつこく少しずつ理解の陣地を広げていくという経験をする。日本の場合、翻訳を介してさらに固くなる問題があり、その読解の困難さには涙が出る。しかし、哲学書を読む脳の筋トレ的効果は抜群で、哲学書が読めると、他の分野で難解と言われる本も、一気呵成で片をつけられる勢いと自信がつく。未知の難解な書物に取り組む汎用的な読書力が身に付くのだ。それなのにマンガでは、遥かに楽に内容に到達させてしまう。一から本を読むのとは比べ物にならない。読書力の訓練目的からいうと、当然のことながら劣る。しかし思うに、少なくともカント哲学は、専門家たちに知的苦行やコケオドシの手段として、秘法中の秘法のままに隠匿されるべきではない。カント哲学は広く活かされるべきだ。とにかく一人でも多くが、浅かろうが深かろうが自分が理解できる範囲まで、身に着けるべき価値あると思う。カントの考えへのアプローチを可能にするものはマンガでも小説でも対話編でもお笑いでも、何であれ歓迎されるべきである。それで興味が深まったなら、今度は原著に体当たりすればよい。そうしたほうが結局、原著を読む人口が増えるはずだ。このマンガはよくできている。タイトルは純粋理性批判であるが、三批判のあと二つ、『実践理性批判』、『判断力批判』の要旨も入っている。純粋理性批判で終始しても大変な仕事だと思うのに、果敢すぎて笑ってしまう。きっとこの匿名の監修者は、カント哲学の全体が大好きで、三つとも紹介したかったのだ。だが、カントに許される割り当てはビジネス的にせいぜい一冊、だから泣く泣く端折って詰め込まざるを得なかった。あと一段階、説明が下に降りてくれれば、もし仮に『純粋理性批判』の内容に集中したら、マンガだけで理解が完結できるのかもしれないとは思う。だが、やはり自分にとっては『実践理性批判』と『判断力批判』が入ってた実際の本書のほうが効用が大きい。恥ずかしながら、今まで『判断力批判』は自分の関心から遠いと思って放置していたのだ。美学は聞きかじっていたが、有機体論は恥ずかしながらこれで初めて知った。今までカントからヘーゲルの違いを、シュンペーターがいうところの経済静学と経済動学の違いみたいに考えていた。ところが、判断力批判を媒介に、カントとヘーゲルは思ったより近いのだ。好奇心がそそられる。カント哲学のマンガ化はほかに『永遠平和のために/啓蒙とは何か』も希望したい。現代のやさぐれた自称リアリストたちは、時計の針が進んでいるか戻っているかの違いに全く無関心のまま物事を進めている。だから現代社会のいい部分を形作ったド直球の啓蒙理念をブチ込み、世の中を明るく照らしてほしい。あとはカント三批判に続く超オススメ、アリストテレス『二コマコス倫理学』、ヘーゲル『論理学』もマンガになって欲しい。そう書きつつもヘーゲル『論理学』なんて、どうすりゃマンガになるんだ!と悩んでしまうが。進化する人工知能なのかなぁ。最初は簡単な処理しかできないのに、やがて人間のように判断するようになり、最後には人知の及ぶところを超えていくような。度々のコンピュータのアナロジーで恐縮だが。
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とても分かりやすく整理されていて、カントの真髄がこれ一冊だけで分かってしまいます。膨大な哲学体系からカントの位置を調べ、人の思想を理解するなんて一生かかる難事ですから、大変お得感があります。日本人は西洋哲学になじみがないため難しく感じるかもしれませんが、まずはここら辺の本[[ASIN:4779113180 世界の哲学―ギリシャ哲学からポストモダンまで (教養マンガ 2)] でおおまかな哲学の歴史を掴んでおくと、合理論と経験論の融合、形而上学から科学へ転換するところのカントの功績が分かります。とても読み応えがあり興奮しました。ニーチェの方では原書に忠実でないと批判され、原書に忠実であればあったで批判される。これでは出版社の人はどうしたらいいか分からなくなると思います(笑ご参考までに大まかですが、自分なりにカント哲学を整理してみました。中世と近代の境目にあって、神のような視点からではなく人間的な立場、つまり台頭してきた自然科学を使ってカントなりに真実の追究、形而上学(善、魂、自由、神)を再構築した試みといえましょう。その立場の転換がコペルニクス的転換ということ。ちなみにコペルニクス的転換という言葉は、太陽中心説を唱えたコペルニクスを指し、近代への転換において物理科学にも意識的にも大変化が起こったわけで、関連している。中世から近代という時代の移行期において三つの思考潮流が起こったと思う。宗教改革(カトリックからプロテスタントへ)とニーチェ(神は死んだ)と、カントの立場(形而上学を科学で説明)だ。中世の世界観のポイント→宗教的、神の意志近代の世界観のポイント→科学的、理性と人間の意志カントは人間の理性は認識や体系統一の為に「完全性」や「全体性」に行き着くまで推論をやめないという本性を持っている、とした。そこで「無制約者」を求めるのは必然とした。(哲学的思索のみでここへ至るのはすごい、哲学の醍醐味か。)科学的な時代において「神」とはよーいわん、「無制約者、神」=「物自体」と言ってみる、てなことでしょうか。つまり目の前にある物は、物に見えてはいるけれど素材(真実在)は神であるという意味での「物自体」。感性+悟性=認識の成立=対象の成立、つまり主観が対象を構成するという概念は、禅に通じますね。時間と空間というア・プリオリに与えられた感性の世界(つまり目に見える世界)での経験の範囲内にけして見出すことはできない無制約者を、理性が認識できると思い込むのは間違いである=純粋理性批判。つまり人間の理性(カントは理性とは推論の能力とした)による認識と科学の限界も示したわけですね。しかし、追求せざるを得ないのが理性に課せられた運命である、と言っているのですね。人間の認識能力の限界と有限者である「私たちは何を知りうるのか?」を自覚して科学的な時代をスタートさせる必要があった事をカントは教えてくれていると思います。経験的なこと(超感性界、禅)、と合理的なこと(数学、科学)を理論的に証明説明してバランスを取った偉大な哲学者だと思います。理性が最高善と幸福の実現を目指し、各自の義務を勝たすことで神のような意志を持つことができるという道徳観は、プラトンのイデアの実現の提唱への回帰のようにも思う。惜しむらくはキリスト教的な世界観の枠に縛られて”人間が道徳的完全性を持つことは生涯かけて不可能”だとしたが東洋の伝統の中では不可能ではない事例や方法論があり、ユングの研究を待つことになるのでしょう。この本はカントの考察を時代を追って説明していく面白さがあるのですが、概念を掴むには事柄別にノートに書き出していってまとめてみるのが良いです。同じような事を言っていても、学者によって言葉遣いが違うので混乱の元になります。その人による「言葉の定義」をしっかりと判別すると分かりやすくなります。(^^)
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カントについてなにも知らないというのに、本書はまともにエッセンスを砕いて解説してくれた良書だという実感を得た。30数年前、「純粋理性批判」を読もうとして同僚や知り合いと読書会を開き、「解体新書」ばりに一語一語コツコツ解読を試みていった。ドイツ語のできる者がいて原書をあたってみたり、研究家のノートを紐解いてみたり。そもそも研究書自体が難しい。本書は、エピソードでお茶を濁すことなく、先生が高校生に向かってレクチャーするという形でかなり分かりやすく説明してくれている。おかげで長年の欲求を少しは満たすことができた。そういいながら、誤解だらけのことを発言してしまうが、カントは「哲学」とか「科学」とかいっても、基本は信仰を哲学的に説明したということではないか、という感想だ。「論語」のいう「七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず」をいっているのではないか、とも連想した。自己益のために善的な行為をするのは不純だ、というのは実感できる。極楽へ行くために、功徳を積むためにボランティアをするというのは、される方にはたまったものではない。「義を見てせざるは勇なきなり」だからするというほうがマシな感じがする。カントは「自然界の根底に目的が存在すると言っているのではなくて 私たちはただ反省的判断力によってあたかも自然界の根底に目的が存在するかのように考えなければならないと言っている」まったくキリスト教信仰ではないか。現象を神の摂理と受けとめる信仰と同じ発想だ。自然界に目的はない、と断言している点が盲信とは違う賢明な認識だ。私も自然界に目的はない、と思っている。だから津波も神による罰というのは当たらない。けれども、自然は神の国に似たでき方をしているという感触はある。その感触を基にして私たちは日々を反省的に営まねばならないという思いだ。カントが形而上学を批判していたということを始めて知ったとき驚いたものだった。彼がその権化ではなかったのかと。形而上学の改革者であったのだ。
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私は卒論のテーマが「カントの統覚」であった関係上、これまでカントや『純粋理性批判』の解説書、入門書、啓蒙書の類をこれまで十数冊も読んだであろうか。 この「まんがで読破」シリーズで『純粋理性批判』が出たと知ったときは「おお〜!」と思わず驚嘆の念を漏らしたが、同シリーズのニーチェ著書群の悲惨な改竄やデカルト『方法序説』の教科書的浅薄さに落胆した経験から、哲学書の漫画化には殆んど期待はしなかった。 が、読んでみると意外にもコンパクトかつ正確に、カント哲学の要点が解説されているではないか!勘違い丸出しの竹田青嗣や読んでも全然理解が進まない中島義道の解説書よりは、初心者にはよっぽど役に立ちそうだ。私の学生時代にも本書があれば無駄足をかなり省けたのではないかと悔しい思いがした程である。 驚くべきことに巻末には『実践理性批判』『判断力批判』の解説まで詰め込まれていて、内容的にはかなり正確に述べられてはいるものの、これは少々欲張り過ぎな感がある。『純理』前半ではアプリオリな総合判断の実例や、後半のアンチノミーの解説にもう少しページを割いた方が良かったように思う。 解説者の人物設定も、よくある老人学者ではなく、妙齢の女性地学教師にしたのは成功。しかしこの地学教師がカントに関心を持ったきっかけが、カントの地震論や星雲説からという設定も入れればさらに自然さが増したであろう。 因みに、49ページにある大陸合理論VSイギリス経験論のイラストでベーコンとライプニッツの似顔絵が反対側に描かれていたのには思わず笑みがこぼれた。
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レーニンの哲学書「唯物論と経験批判論(世界の大思想、河出書房新社」を読んでいると、カントの「物自体」の概念が唯物論と観念論を比較する時に、後者の観念概念として登場する。レーニンは科学の発展に伴い「物自体」とされてきたものの実態も明らかにされ客観的に観察される事象=「物自体」となると述べている。ここにおいては、従来「物自体」とされ、観念論者に利用されてきた概念が、逆に科学者によって、唯物論的考えの一部になる。これは現代の科学者にとっては極めて素直に受け入れられる考え方である。本書は、「物自体」の概念をカントの哲学全体も含めて、理解できたらと思い購読した。「物自体」についての説明については深いものはなかったが、前半の「純粋理性批判」は丁寧に話が先生が生徒と対話しながらレクチャーするという形式で構成されておりわかりやすい。形而上学の語源p34、「批判」と言っているのは「吟味・検討」の意味であることp50、アプリオリの意味p56の解説などは明快。ただ、この章でも94-99ページまでは、前回のレクチャーに参加していなかった生徒のために、それまでの話を繰り返しておりページの無駄となっている。後半の「実践理性批判・判断力批判」は、駆け足で先生の一方的なレクチャーになっており噛み砕かれていない。カントが使った哲学用語にはどのようなものがあるかを確認する程度の意味はある。「まんがで読破」シリーズの名著には遠く及ばないが、シリーズとしては平均点よりやや下がる程度の出来。通読には半日程度かかる。
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他のレビューにはこれ1冊だけでは完全には理解できなかったというのが多いけど、『純粋理性批判』はそもそもこれだけの容量で理解できる理論ではないと考えた方がいい。この本の適切な使い方は、原著や入門書を読みながら、イメージが掴めないときに活用するものだと思う。自分で図解できない、フローチャートが描けない、というときにこの漫画を読む。すると解説や図解やキャラクターのリアクションなどを参照して、理解を深めることができる。勉強していく上でどのタイミングで疑問にぶつかり、それに対してどう理解すればいいかの手本になる。例えば、自分は『はじめてのカント「純粋理性批判」』を読みながら、悟性のところで挫折してこの漫画を発見した。その本では、純粋理性批判の理論の構造を基準に目次を組んでいるので、感性の内容、悟性の内容、理性の内容、という順に解説が進む。この本では、カントが純粋理性批判を執筆した経緯に絡めながら解説するので、まず感性と悟性のアプリオリな形式の必要性から解説が進む。理論の中身や根拠についてざっくりと解説する本から入門した方が、純粋理性批判を学ぶには丁度いい。この本を読んだら難なく理解できた。漫画という特性を活用すれば素晴らしい教本になる。
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カント哲学について描かれた漫画です。学生時代にカント哲学をかじった女教師が生徒たちにカント哲学を教えるという形式になっていますが、読者が疑問に思うことを生徒との問答でわかりやすく女教師が説明してくれています。私が読んだ感じでは用語説明(物自体、カテゴリー、アンチノミー、ア・プリオリ)などもわかりやすくて間違いがないように思えました。感心したのが、私は『純粋理性批判』本のレビューで、万有引力の法則を基にカントの悟性認識を説明するとわかりやすいと書いたのですが、この本では机から卵を落とすことで悟性認識を説明しています。この本は、訳のわからない下手な哲学者N本なんかよりもお奨めできます。漫画とはいえ侮れないです。ただ、カント三批判の説明にまで及んでいるのは欲張りすぎでしょう。それなら構想力についてもわかりやすく描いて欲しかったと思います。ふれられた内容は基本的なことだけなので、これを機会に、カントの『純粋理性批判』に挑戦してみるといいと思います。この本を監修したのは誰なのか? まあ、私がこれまでにレビューした間違いだらけのカント説明本の著者ではないことは確かでしょう。
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私は哲学科の学生で、純理と実理はどちらも読んだことがありますが、本書はカント哲学全体についてよくまとめられていると思います。また、カントの理論がそれ自体人間の認識を超え出てしまっているかもしれないという批判は興味深い。問題点としては2点。1つ目は純理における自由の議論に触れていない、つまりアンチノミー論を詳しく説明していないこと。純利の自由の議論を説明しないまま実理の自由の説明に入っているのだが、純理の説明がないために、自由を現象界に位置づけず叡智界に位置づけるカントの議論が理解し難くなっている感がある。また、自由の証明のくだりで実理の説明と純利の説明が混同されているから、ここは区別して説明したほうが良いだろう。2つ目は判断力批判のくだりが理解不能な点。なぜ判断力が現象界と叡智界を媒介するのか全く説明できていない。判断力批判自体本として破綻しているという研究者もいるくらい理解しがたい本であるから、無理に入門書で扱う必要も無かったのでは?全体としては良くまとまっているので、石川氏のカント入門などを読んだあとで目を通すとよい復習になるのではないだろうか
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以前、NHKラジオ第1午後のまりやーじゅで哲学者の黒崎教授が番組内でカントの「純粋理性批判」を取り上げていて、その中で「原因から派生して結果が生じると思っているのは人間だけであって、本来自然界における事象は全てバラバラに起こっていて、原因から結果が生じているわけではない」という言葉が気にかかっていましたしかし、哲学書というと極めて難解というイメージがあり、読むのを躊躇していましたそんなとき、漫画で解説した哲学書があることを知り、購入しました哲学というと、学生時代に学んだだけで、テストが終われば用無しと思っていましたが、成績のことを考えず純粋に哲学を純粋に学習する機会をもてたのはよかったと思いますこの漫画では、学生と先生が「純粋理性批判」について問答するという形式をとっていますが、少なくとも文字だけの哲学書よりは分かりやすかっですしかし、いくら漫画化しても理解できないところは多々あったのが現状でした
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カントの自賛するコペルニクス的転回とは竜樹の空(3次元の時空)と世親の唯識論を折衷した認識論に似ている。 外界に実体はなくそれを感性、悟性、理性(阿頼耶識)が統合的に認識して初めてその対象が存在するという。 対象の存在があって認識が生じるのではない。 2000年前のインド仏教哲学はカントの認識論を凌駕する先進の哲学であった。カントが世親を知っていれば純粋理性批判の完成に11年も艱難辛苦する必要はなかった。カントの3部作は理解が至難である。漫画で簡潔に要領よくカント哲学が概略されていて理解が用意であった。大学時代にカントを取り込もうとして成書をⅠページ読んだだけで精神崩壊をきたした思いでがある。哲学を専攻していないが哲学を教養として知っておきたい人にはこのシリーズは最適である。西欧の哲学が東洋より優れているというのは虚偽である。
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『純粋理性批判』をまんがで表現することができるのだろうかと半信半疑でいましたが、読んでみたら意外とよくできています。高校の地学の先生が生徒たちに説明する形式で解説されていて、『純粋理性批判』の主要な部分を多数の図表や絵を用いながら、非常に要領よくまとめられています。もちろんそれでも多少の難しさは残りますが、原著自体が難解なのですから、これ以上わかりやすくするのは無理でしょう。『純粋理性批判』の入門書としては、もっともわかりやすいものだと思います。『実践理性批判』や『判断力批判』の中心的な内容にも触れられていて、三批判における『純粋理性批判』の位置づけもわかります。わずか200ページ足らずの中にまんが形式でこれだけの内容をうまくまとめてある点は高く評価できると思います。
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原書はあまりにも大著で難解。それで本書を手にしてみたのだが大正解でした。意外にも本格的な内容で勉強になった。「純粋理性(知の限界)を批判(検証)する」これが題名の意味である。何のために検証するのか。それは「神を知ることにどこまで迫れるのか試みる」ためだ。それはブラックホールの観察に似ている。ブラックホールは光すら吸引するため、目に見ることはできない。その周辺をうごめく物質や空間を観察して様子を推察するしかない。神についても「人間の知のパターンや限界をていねいに観測して推察することができるのではないか?」と考えている。読んでいて胸がドキドキしてくる内容でした。
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マンガで読破シリーズ、かなり(ほとんど)読んでいます。アタリもあれば、ハズレもある。「純粋理性批判」を取り上げた勇気は評価しますが内容は「挿絵の多い解説書」レベル。まんがにした意味がない。読むのは辛いです。「純粋理性批判」を取り上げた、その1点においてだけ評価(★★)します。追記「絵が描いてあればマンガ」と思っている方々が多いような気がする。「挿絵」と「マンガ」は、全く違うものだ!シリーズ中、たまに目にする「吹き出しがあるだけの挿絵」は、断じて「マンガ」では無い。「まんがで読破」のコンセプトを守って欲しい。
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中山氏の文庫本全7巻にも及ぶ詳細な解説付きの新訳を読み、次いで熊野氏の翻訳によるほとんど解説のない一冊本をフォローした後に本書を読む。そうすると、この、決して「漫画」ではない「解説本」は実に納得できる一冊となる。まことに簡単にまとまっているから・・・・・。 逆にこの1冊でカント「三大批判」を理解しようと思う向きには、まず、「無理でしょ!」と言っておく。じゃあ、この文庫はいつ読むか。原典あるいは原典の真面目な解説書(あまりいいものはないが・・・・・)を読み終わってからでしょ!
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単純に原文の要約部がマンガの吹き出しにぶっこまれているだけで、わかりやすい比喩や実例が示されているわけではない。枝葉に入り込みすぎていて、冒頭の「神の存在証明が理性だけで実現可能か」に結局回答をしていない。原文以上に要約が不可能である、思考検証の全過程を全て網羅しようとしすぎていて、マンガとして破綻している。たとえばアプリオリな認識とは何か、せっかくマンガにするんだったら現代日本の読者がわかる実例をあげたりすべき。マンガ描いている人が本当に内容を理解しているかも不明。
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私は今まで哲学を学んだことがありませんでした。それがためかカントの哲学、中でも特に形而上学についてその必要性がよくわかりませんでした。 ひとつだけ感じ取れたのは、敬虔な一神教信者はその宗教的価値観から抜け出すのに大変な労力が必要だった、ということです。私を含め、国教が多神教でしかも敬虔な信者でもない人々には、カントやその他の哲学者の苦悩は実感がわかないでしょう。 紙面の制限もあって、この本だけでは説明不足ですので、もっと別の書籍がないと理解できないと思います。
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まんがでカント入門のきっかけには最適です。しかし、まんがだからといって優しくはないです。本気で理解するにも、かなり思考を必要とします。 学術本でも難しいカント。マンガでも難しかった。しかしカントって誰?とか、なんとなく哲学に触れたい!という読者には、良いと思います。よく分からない。でもそれも哲学です。マンガなのですが、哲学をちょっとでも勉強していて、カントが難しいから本を探していた人にはおススメな本です。 面白さだけで読むなら、別な方が面白いです。
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カントの哲学は精神活動を分類して独特な名前を付けることでその各名詞が文章の中で本当に正しく関連つけられているか考えながら読んでいくと疲れる。キーポイントを抜き出して地学の先生に解説させたところは良いと思う。いくつもある翻訳がオリジナルに忠実に書かれていて日本語としてはすごく読みにくいのに比べるとこの本は評価出来る。それでも独特な名詞が多い。これは変わらない。
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基礎がない自分にとって理解できませんでした。もう少し読み返してみようと思います。先日哲学にはおよそ興味がないであろう友人の子供―高校2年生にたまたまあげてしまいました。再購入試みましたが、在庫がないということで残念です。単行本で今度は活字で読んでみます。
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漫画だからわかりやすいというわけではない。セリフ部分が口語体というだけで、話している内容は普通に難しい。なのに登場キャラが勝手に「なるほど、そういうことだったのか!」的に話を前に進めてしまうため、置いてきぼりをくらう。
ネット上のイメージ
- 教師
- お仕事
- 大学
- 感動
- 高校
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