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ミステリアスな魅力でトップスターに上りつめた“りりこ”。だが、りりこには知られてはならない秘密があった。まばゆい世界の陰で、恐るべき事件と人々の思惑が絡みあい始める――。豪華キャストとスタッフで実写映画化。第7回文化庁メディア芸術祭・マンガ部門優秀賞&第8回手塚治虫文化賞マンガ大賞受賞作品。鬼才・岡崎京子の、世紀を越えた傑作!分冊版1

ヘルタースケルター

| 祥伝社(出版)

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449件のネット上の評価があります

  • 100

    amazon

    原作は既読だけれど、特に思い入れはない。勿論きらいではないけれど、特に好きな作品でもないというのが本音。蜷川実花は写真家としてはすごく好きだけれど、「さくらん」は見ていないので映画監督としては初めて。***トップモデルのりりこは、全身整形によって美貌を手に入れたという秘密がある。気性の激しい彼女は自分の美が失われること、自分の勢いが続かないであろうことに怯え、マネージャー・羽田に当り散らすことも少なくない。若くてうつくしい後輩モデルの登場や恋人の婚約などにより、りりこの精神は徐々に破綻していく。ひたすらりりこの物語だった。美しさを後天的に手に入れた彼女が、自分の美しさに見とれ、美しさゆえに傲慢になり、美しさゆえに奔放に振舞う。彼女自身が妹に言ったように、彼女は美しいから強くなった。人の目も、揶揄も、批判も恐れない。マネージャーが持ってきたミネラルウォーターの温度が好みじゃないとぶち切れ、メイクルームに訪ねて来た恋人とその場で抱き合う。真っ赤な下着に濃いメイク、自室で高いヒールの靴を履いて煙草を吸う彼女は強くて美しい。りりこは女王様だけれど馬鹿ではない。自分に演技力や歌唱力や話術がないことを知っているし、自分が替えのきく一時的な存在であることも知っている。だから映画の出演時間のためにプロデューサーと寝るし、仕事を休めば忘れ去られると分かっているからひたすら仕事を詰め込むし、金持ちのお坊ちゃんである恋人との結婚を狙って情報をリークさせる。強い彼女の心の中には、いつだって不安がある。どんなに支持されていても、どれほど歓声をあびていても、彼女は安心できない。何十万人が自分を好きでも、自分はそのひとたちのことを知らない、と彼女は言う。カメラのシャッターを切られるたびにからっぽになる、とりりこは言う。けれどそのシャッターの音と、安っぽく繰り返される呪文のような「かわいい」「最高」の声で彼女は輝き、甦る。沢尻エリカはとにかく可愛い。可愛くて綺麗で美しくて、非常に不安定だった。撮影後もりりこの演技に引きずられていると報道されていたけれど、実際に映画を見ると納得する。りりこの画像を見た検事・麻田は「一見完璧に見えてバランスがずれている」と言う。皮膚と表情と骨格がアンバランスなのだ、と彼女の笑顔を称していた。そう言われてみると、本当にそう見えてくる。沢尻エリカがそう見せてくる、のだ。羽田との最初の絡みのシーンが凄い。りりこの整形は、単に手術をして完了、の世界ではない。薬とメンテナンスを定期的に摂り続けることでしか維持できないように出来ている。だから放っておけばりりこの体には黒い痣が浮かんでくるし、髪が抜けたり、皮膚の反応が鈍くなってくる。自分の顔にその兆候を見つけたりりこは、部屋の掃除をしながらりりこの美しさを熱弁する羽田の言葉に相槌を打ちながら、涙を零す。真っ黒に縁取られたアイメイクを越えて、彼女の体で数少ない「もとのまんま」の目玉から涙がこぼれる。けれど口元は笑っている。りりこの表情はいびつで、不気味で醜くて、けれどやっぱり美しい。「バランスがずれている」顔だ。ここの芝居が凄すぎてふるえた。そしてそのあとりりこは泣いていたそぶりも見せず羽田に近づき、彼女を誘惑する。羽田が心酔する美しさで彼女を魅了する。沢尻エリカがすごければ、寺島しのぶはもっと凄い。原作の羽田は20代前半の女性だったが、映画の羽田は35歳だと名乗っている。なぜ羽田の年齢を上げたのか、寺島しのぶにキャスティングしたのか、不思議だった。その確固たる理由はやっぱり分からないけれど、ともかく凄かった。原作の若い羽田は、その年齢もあって世間を知らないところがあり、おそらく初めて就いた仕事に全力で取り組んでいる。同世代であろう彼氏も仕事をしていて、お互いに愚痴ったり労りあったりしながら同棲している。若いので肌は綺麗だけれど、安い化粧品しか使えないので、りりこにランコムのスキンケアを貰って喜んでいた。映画の羽田は35歳で、化粧っけが全くなく、りりこに口紅をもらっていた。同棲しているのは年下で、派手な容姿の彼氏だ。りりこの仕事の影響でしばらく家に帰れないというとき、羽田が財布から札を数枚出して食事代だと言っていたのでおそらく無職だろう。仕事から帰ってきた羽田がかいがいしく、似合わないぶりぶりのエプロンをつけて料理をしているのを尻目に、ひたすらソファでゲームをしている。羽田はお人よしで、馬鹿で騙され易い女だ。人の裏を見ることをせず、言われたとおりに振舞う。似合わないエプロン、ダサい下着(この下着のチョイスは神がかっていた…!!!)、見ているだけで苛々する要領の悪さ。その裏に、狂気のようなりりこへの心酔を秘めている。巻き込まれた感じがつよかった原作の羽田と異なり、映画の羽田は自分で選んで行動した印象がある。りりこに惹かれ、彼女は自分の行動を決めた。りりこの命令に従う、という決断をしたのだ。だから、南部の婚約者を襲ったときも、奥村より羽田の方がキモが据わっていた。奥村がダメなヒモ(推定)になったことでより一層羽田の要領の悪さ・バカ女っぷりが明らかになった。ふたりの部屋に来たりりこの誘惑に、簡単に乗ってしまいそうなのは映画の奥村だ。りりこの美しさ、りりこ・羽田・奥村のドラマが濃厚に描かれた分、端折られてしまったのが和智久子を中心にしたクリニックの問題だ。違法な医療行為を重ねていたクリニックの実態や、和智久子の考えなどがぼやけてしまった。麻田がどういう事件を追っていたのか、映画だけを見るとすこし不明瞭ではないかと思う。個人的には、この和智久子が化粧っけのない女であったという事実と、顔に傷を負った南部の婚約者が母親と一緒に彼女のクリニックに縋ったというエピソードが物凄く印象的だったので、削られてしまったのは残念。南部の婚約者もまた「タイガー・リリー」であったということ、女性心理を煽ってたくさんのタイガー・リリーを生み出した女が自身の美を求めなかったことは非常にシニカルでいいエピソードだと思う。あと最大のあおりを食らったのはりりこの妹と麻田の関係かな。容姿と気弱な性格でいじめられている千加子に、麻田はりりこの話を聞こうと近づく。彼女の過去の写真を麻田が手にしたのは、かれに憧れていた千加子の強力があったからだ。りりこが失踪したあと(おそらく)数年が経過したのち、麻田は渋谷の交差点で、かつてよりかなりきれいになった千加子と偶然再会する。前半部分が全くなかったので、数年後のシーンでいきなり千加子が麻田に親しげに話しかけてくるのにびっくりすることになる。濡れ場そんなに長くなくていいからこっちをもうちょっと見せてよ、と思った。南部貴男は窪塚洋介。窪塚洋介って格好良いんだな、と今更知ったよ…キャスティングを聞いたときから、漫画から出てきたような似方をしていると思っていたが、想像以上だった。顔がよくて金があって女にもてて、空っぽの男。なりたいものを見つけては片っ端から諦めてきた男は、人にも諦めることを強要する。りりこには自分との結婚を、婚約者には自分とのまともな夫婦生活を諦めさせる。婚約者がけがをしたあと、りりこは南部と久々に会う。壁を壊すことをせず諦め続けてきた男の言葉を、抱きしめながら聞くりりこの表情は、もはや恋愛をしている人間の顔ではない。仕事も恋人も自分の美貌すらも、自分の手で奪ってきた彼女には、南部はどういう風に見えたのだろう。こずえも良かった。すらっと伸びた手足と白い肌と、あまり化粧をしていない整った顔。彼女の美しさは、存在するだけでりりこを傷つけるナイフのようだ。南部の婚約者だけでは飽きたらず、こずえの顔を傷つけるようにりりこは羽田に命令する。思いつめた顔の羽田が自分にカッターナイフを向けたときも、こずえは動じない。どうせ自分もそのうち飽きられる、刹那的な「欲望処理装置」だとこずえは知っている。モデルの仕事にも人気にも執着しない、生まれながらに美しいこずえ。彼女こそ、りりこが語る「きれいだから強い」の体現者だろう。映画は、りりこについて関係者が語るシーンを挟む演出で進んでいく。その中でこずえは、「モデルは皆(体型維持のために)吐いている」となんでもないことのように語っていた。実際この日の彼女も、トイレで慣れた手つきで吐いていた。個人的にはこれでこずえのイメージがブレてしまった。渦中にいてなお「タイガー・リリー」にならないのがこずえだったのに、彼女も片足を突っ込んでいるような感じになっている。遊園地でポッキーを食べているところなんかはすごくこずえっぽいのになー。繰り返す手術と投薬、そのたびに仕事を休まねばならないことへのストレス。自分が休んでいた間にこずえが表紙を飾っていたことを知ったりりこは思いつめる。ビルの屋上にむかう彼女を社長、羽田、メイクのキンちゃんが必死で宥める。屋上で座り込んで、「もうこんな仕事やだ」と泣きじゃくるりりこはまだ少女のようで、それだけに痛々しい。どうしても沢尻本人と重ねてしまって、余計につらい。思わず貰い泣きしてしまった。生きづらいだろうけれどいい女優だよなあ。鈍化すれば多少は楽だろうけれど、たぶんこの嗅覚あってこそのこの芝居だと思うので、なんとかこのまま女優として続けていってほしい、と思わされる。羽田によって全てが白日の下に晒された。押し寄せるマスコミの前で、「特殊メイク」ばりに手をかけて美しくなった彼女は、ナイフを自分の目につきたて、そのまま倒れた。整形を重ねたりりこの、数少ない「そのまんま」の部分。どんどんオリジナルの部分を削って、彼女は更に強くなるのだろう。見ているだけで生気を吸い取られてしまいそうな反面、背中を思いっきり押される映画でもある。物語としての完成度はそこそこで、映像としての完成度はなかなかいい。カメラワークというのか絵コンテというのか、ところどころ違和感を感じることもあれど、どこを切っても濃厚でむせかえるような作品だった。りりこやこずえが表紙を飾るファッション誌が実在のものであることを始めとした細部へのこだわり、一瞬の撮影シーンのためのメイクとドレスがいちいち可愛くて良かった。羽田の絶妙なダサさ、足が痛くてすぐに脱いでしまうにも関わらずヒールを履き続ける社長の美学、雨の中を走るときですらピンヒールの(おそらくそうでない靴を持っていない)りりこ。オネエであるヘアメイクキンちゃんの服装。全力でオシャレで、全力でイマドキで、全力で消費される刹那的なものたち。残酷で面白かった。

  • 60

    sakuhindb

    女性向け漫画の異作、怪作 個人的な話になるが学生の頃、少女漫画の評論が論壇で一時期盛んになったことがあるこのサイトだとSFアニメの原作者として知られている萩尾望都、竹宮惠子ら、いわゆる「花の24年組」と呼ばれる漫画家が主な評論の対象だった運悪く?偶然そのうちの一冊を手に取ったのが運の尽きで、青すぎた私はサブカル、しかも当時誰も真面目に批評なんてしようともしなかった最も劣った?と思われていた少女漫画という分野で「評論」するのはカッコいいと今思えば限りなく馬鹿馬鹿しく恥ずかしい勘違いをしてのめり込んだのが少女漫画との出会いだったりする今なら漫画もアニメも映画も自分にとっては「楽しむための物」と割り切っており、インターネットもあるので当時の自分に「ググレカス!」と言ってやれるのだがネットが政府、教育機関中心で情報がさほどない時代だったので、うっかり「堕ちる」方向を間違えたらしいまあのめり込んだのはほんの2,3年だけだったが、どうせ堕ちるなら少年漫画にしておけばよかったのにと口惜しい少年漫画は当時まだ評論めいたものは手塚中心で少なかったように思うが、何度も言うがネットがなかったのでよくわからないネットがない時代は情報が非対称で平然とバカが出来たということだが、学生を卒業して、職場で女性の同僚と一緒に仕事をするようになって、女性陣の考え方を理解するのには意外に役に立ったそれでも今でもたまに女性陣から怒られるがw 前置きが長くなったが、本作は沢尻エリカ主演で2012年に映画化されているので名前だけでも聞いた人はいるかもしれないメディアが人々に喚起させる欲望の罪深さ、大衆文化や消費社会の功罪、その社会の影で整形地獄に陥る女の内面について描いている作品が掲載された1990年代前半はバブル経済が弾けたばかりであり、行き過ぎた消費社会への批判は当時の空気とも言えるだろうメディアに関する批判については、1986年公開、滝田洋二郎監督の『コミック雑誌なんていらない!』の影響があるかもしれないまた似たテーマの作品だと虚飾に塗れたモデル業界をブラックコメディに仕立て上げたベン・スティラーの『ズーランダー』(2001年)、メディア自身の虚飾を扱った『トロピック・サンダー』(2008年)が近い ストーリーについてだが、耳と目玉と性器以外「全身を整形した」と言われる女、美貌のモデルで女優、マスコミの注目の的、りりこの壮絶な人生と転落を描いているしかし、よくある安易な「整形はダメよね」という教条的な話ではないいったい何が彼女を「整形地獄」に追いやるのか、その内面を赤裸々に描いているいやその「内面」がない、見てくれだけの「張りぼて人形」であるのが彼女なのだが、「内面」のない女の荒み切った「内面のリアリティ」をこれでもかと描いている いったい彼女はなぜ「内面」がないのか?『ヘルタースケルター』では、その要因を内部と外部2つに分けているまず外的要因だが、テレビのCMや駅前にデカデカと張られた広告を飾る「美」の基準は複数のメディアに乗って人々に拡散されていくこの作品だと女優のブリジット・バルドーやクララ・ボウ、その他有名女優の唇や目、胸というパーツであるいずれの「美」も異性の欲望の対象であり、異性を惹きつけるとメディアに焚き付けられ、女性はそれらを欲していくりりこは欲望を焚き付けるパーツごとのいわばイメージのモンタージュで出来ている存在だ目も胸も鼻もどこかのメディアで見た記号化された美の基準を元に整形され、出来上がっている彼女自身を示すものはもはや外見には何も残っておらず、「虚像」そのもので出来上がっている彼女の間違いと転落は自身を「モノ」として扱い、自身の外見を代替可能な機能として扱い代わりにメディアで拡散されるイメージを身に張り付けたことから始まる しかしなぜ彼女は整形地獄に嵌ったのかは内的要因として描かれる1つは幼少期の愛情飢餓、もう1つは家庭環境の貧しさ貧しい家庭で育ち、両親は病気で働けない肉塊の上の皮一枚は醜く、誰からも注目されず、粗雑に扱われる存在がりりこだった両親からの愛情と注目への渇望がそのまま他者からの注目への渇望にスライドし、彼女は整形の無間地獄に嵌る経済的な貧しさからの脱却と家計の負担も彼女を後押しし、やがてマスコミの寵児となる彼女が手に入れたメディアを介しての人々の注目は偽物の代替的な「愛情」なのだが、愛情飢餓に陥っている彼女はその偽物に執着し、手放すことが出来ない愛情飢餓は異常な自己愛の強さに繋がり、自己愛の強い彼女には周囲の思いやりも気遣いも届かず美貌に群がってくる周りの人間を愛することもできない彼女にとって人は道具であり、欲望を満たず機能なのだ、利用するだけ利用する存在でもあるあるのは恵まれて生まれた他人への強い嫉妬そしてマスコミやモデル業界の虚飾や喧噪の中にいる彼女は自身が愛情に飢えていることさえ、気づくことが出来ない考える暇もなく、虚業の仕事に明け暮れているりりこが慕っている事務所の女社長も彼女を自分自身の若いころそっくりに整形し仕立て上げ失ってしまった若さと美貌の穴埋めとして、自身の「レプリカント」として扱っているのもブラックだがありがちで怖いりりこは存在そのものが「虚像」であり、空っぽなのだ自身の空虚さを埋めるために、恵まれた他人へ悪意を差し向けるりりこには転落しか待っていない整形の無限地獄、手術の後遺症や痛みからの解放を求めて薬物の乱用に走り、心身は中から腐って崩壊していく 【総合評価】男には、権力欲、出世欲、保身という毒物、劇物があり、人生を狂わす要因でもあるのだが女の「美」への執着と業は男のそれに匹敵する、もしくはそれ以上のものかもしれないそういえば、昔学生時代付き合っていた女の子が「(目を)二重にしたい」と言ったのを聞いて何とも言えない悲しい気持ちになったのを思い出した男には変身願望をロボットや車で代替する手段があるが、女は自身の体にメスを入れる手段がすぐ身近にあるだけに闇が深い1人の女の狂気と破滅を生々しく、壮絶に描いた作品なのだが、前述したように同時に大量消費社会で人も「モノ」のように記号化し、欲望の対象として消費される現代社会をも批判性を持って描いているのが特徴狂気に満ちた作品であり、ヒロインにはとても感情移入できないので人には勧めにくいしかも読み終わると確実に嫌な気分になるただ、漫画を読み尽くし、読み応えのある女性向け漫画にチャレンジしてみたい人には一読の価値はあるかも 余談だが、作者の岡崎さんはこの作品を書き終えた直後、自宅前でトラックに跳ねられ瀕死の重傷を負い、20年以上経った今もリハビリ中であるいわば絶筆状態になっている

  • 80

    amazon

    ま、この作品に関心を寄せた世の諸男性方の興味は、沢尻エリカのB地区、この一点ではないかと思われますが…(笑それについては追々触れると致しまして…「別に…」騒動以降、沢尻エリカが裸の謝罪で再び世に出た禊作品。整形・ドラッグ(リーガル&イリーガル)・女タレの人身御供・マスゴミのアホさ加減…まあよくもこれだけの要素を、約2時間の尺に全部ぶっ込んだなー、と。元々マンガ原作のこの作品見つけた関係者は、まさにコレだ! となったんでしょうね。その下敷きに、ママネタ・謝れ謝れの謝罪ネタ…あたりもぶっ込んで、沢尻ネタ風にアレンジしたアレンジャーさんにも敬服します。リアルな日本芸能界のアッチ事情、大人のアッチ事情も練り込んだ、この作品のキャスティングも見事です。映画の公開日も、9月29日あたりに設定したら完璧だったでしょうねー。沢尻エリカ…個人的にはあまり好きなタイプの顔立ちでは無いですが、やはりそれなりに魅力的な女性です。私は写真の趣味なんかはありませんが、作中の、菜の花畑で妹と会うベタなシーン、もう少し薄いメイクなら思わず写真が撮りたくなります。が、私事で恐縮なんですが、私、ホテルや自宅に来てくれる系の大人の社交サービス、NHK風に言うところの派遣型マッサージ店をよく利用するのですが(笑その派遣型マッサージ店の嬢、もとい、NHK風に言うところのエスティシャンあたりでも、沢尻エリカ、まあいるレベルのアガシではあります…最近の派遣型マッサージ業界は、高いところのレベルははんぱなく高いですから…しかし、NS-NSなら「別煮」はギリ払ってもいいかな… というレベルです(汗同系、2019年の現時点でゴン推しされてる中条あやみなら…別後はさすがにだけど、別山でなんとかお願いしますっっ! って感じです。スウォンゴリはチェンジです(笑与太話はともかく…話として、よくまとまっていると思います。麻田(大森南朋)の、舞台演劇調の台詞回しは終始鼻につきましたが…アレは、映像化にあたりもう少し現実的な、優しい語り口調にセリフを直しても良かった気が。麻田があの語り口調でないといけない必然性は無いでしょうから。メインキャストだけに、ちょっと残念です。「会いに行こう… あの猛獣… タイガー・リリーに…(キリッ」味噌汁吹きました(笑個人的には、クライマックスの謝罪で血の涙を流し、「本っっっ当に! 本っっっっ当に申し訳ありませんでしたっっっ!!!」で締めて失踪させ閉幕。エンドロールで、後日譚としての「りりこ 伝説の写真集 復刊…」のポスター写真でも流した後に、失踪(逃亡)後、知った事か、我関せず… とばかりにスペインのビーチとかで妹とキャッキャッ言って遊んでる、メイク薄めの、美しいりりこ(素の沢尻エリカ)の姿を、蜷川実花テイストでオサレに流す…という感じにすると、「沢尻エリカの禊作品」としては完璧だったのではないかなと。「女優 沢尻エリカ」ここにあり!を示した上で、単なるエログロゴシップ、アッチしがらみ作品に終わらせない昇華結末、あとこういう事案が起きた時の、日本社会をシニカルに描く、という意味でも、そういうオチの方が良かったかな、と思います…「名前と顔だけが、ただ挿げ替わっていく…」日本芸能界の色々な、大人のアッチ事情もおありなのでしょうが、謝罪シーン以降は蛇足かな、と思います…あまり内容改変すると原作ファンから怒られてしまいますが、世間的な受け止めとしては、(映画作品としての)この作品はあくまで、沢尻エリカありきの「沢尻エリカの禊作品」だと思うので…まあ総じて、作品の内容や出来はともかく、とかくこの手のヌード先行作品では中途半端な脱ぎ(チラ見せワンカット見せとか)もありがちなところ、それなりにキッチリ脱いではいるので、露出評価として★4、という事で(笑余談ですが…新井こと朴容疑者ですが、この作品もそうですが、近年における女優ヌードが絡む作品には、アッチ枠として片っ端からネジ込まれてるんですよね…この作品も、お蔵、とか、ならなければいいですけどね…けど… こんな事でお蔵が取り沙汰されるってのも、何ともおかしな話です。多分ないでしょうが、まかり間違って本当にお蔵にでもなったら、そりゃ温厚なエリカ様でもキレますよね(笑ま、同じ同好の士として(笑 やはりいい年コイた大人は、分別をわきまえて、あまり無茶な遊び方をしたらイカンな…我が身の破滅はもちろんだけど、色んな人に、本当に、多大な迷惑を掛けてしまうから…明日は我が身、くわばらくわばら…と、改めて身につまされました(汗しかし… つい数年前まではアッチ系案件の報道は通名報道がデフォだったのに、ここ数年は某公共放送含め(笑 ガッツリ実名報道しますよね。まあ、何かしらの力が働いているのでしょうが… 日本のマスゴミの忖度力たるやはんぱないですね(笑真面目な話、Prime Videoでは、終了予告も何も一切無く、ある日突然配信終了…(契約事情、大人の事情etc)みたいな作品って、結構あります。プライム会員無料視聴特典の対象タイトルから外れる、のみならず、そもそもPrime Videoの配信タイトルから消える…という事も、普通にあります。もし、この作品が気になっていて、まだ観てないよー、と言う方は、時間が空いた時にでも早めに観ておいた方がいいかも知れませんね。末筆ながら…冒頭で触れました通り、この作品を観る諸男性方の気になるところは、果たして作中のどこで沢尻エリカがB地区を晒すのか、という、その一点でないかと思うのですが…(笑私自身の覚え書き、先に山に入った人間としての道標、目印代わりに、簡単な座標、印を示しておきます。何かと忙しい現代社会に生きる皆様方も、よろしければご活用下さい。0:02:37~ (B)0:03:40~ (B)0:08:50~ (B)以上です。

  • 40

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    素晴らしい俳優陣、素晴らしい美術、素晴らしい音楽。しかしこの映画は素晴らしくなかった。それはなぜか?原作のある作品の映画化は映画の尺に合わせてまたストーリーを再構成しなくてはならないと思うのだがその構成が上手くいってない。物語の根幹というものを見失っている。基本となる大きな流れがしっかりしていないから、細かいディティールを緻密に表現してもどこか浮いてしまっていて全体のつながりが見えない。当然だけど素晴らしい演技も、美術も演出も物語を語る手段に過ぎないのだ。まず自分が物足りなく感じたのは、マネージャーの羽田とその彼氏の奥村の描写の比重が少なすぎる点だ。原作の序盤では羽田のモノローグや私生活が繰り返し描かれる。序盤の主人公はこの羽田みちこであると言っても過言ではない。羽田のフィルターを通して私たちはモンスターのようなりりこを恐れ、振り回されつつ、やがて翻弄されていく過程を経験していくのだ。例えば羽田は、それなりに努力しているにせよ、要領が悪く、精神的未熟さや不器用さを持ちながらも妙に律儀で、人並みの良心も持ち合わせているというどこにでもいそうな平凡な女性だ。そして奥村は、少しチャラく流されやすい面を持つ今風の若者だが、羽田を愛し大切にする気持ちの優しい青年だ。(しかしその優しさは裏を返せば弱さであったりする。)この、私達がいとも容易く感情移入できる、リアリティあふれる二人のキャラクター描写が、私たちがこの物語に入っていくためにも最も重要でこの二人の内面を描く過程を軽んじてしまったがために観客である私たちは感情移入の対象を見失い物語に入り込む機会を失ってしまう。(それに対して婚約者との濡れ場などはもっと簡単であっさりしてていい。アクセサリーのようなものだ)逆に言えばここの比重をより高くすれば、もっとわかりやすい作品になったのではないか?(冒頭から私たちはりりこに共感などできっこありません。物語の序盤では私たちにとってりりこは恐れる対象なのですから。)このどこにでもいそうな平凡なカップルが、りりこに取り込まれついには犯罪まで犯してしまう。その瞬間、観ている私たちも共犯者に仕立て上げられていき、そのまま、りりことともに奈落の底に落ちていくこの映画を観てそんな体験が出来たらどんなに良かったことだろう。「あんたたち、ぬくぬくしすぎなのよ。もっとダメにおなりなさい・・」りりこのこの言葉の通り、健全なカップルが次第に堕ちていく様はりりこの孤独をよりいっそう強く悲しく浮き立たせてくれたことだろう。素晴らしい製作陣であったが故に、残念だった。監督と脚本家の方は猛省して、初心にかえって物語の構成や伝え方をこれからもっと学んでほしい。最後に、自分の文脈で自分なりに必死にりりこを演じようとした沢尻さんは努力されたと思うが、私には沢尻さんのりりこはどうしても悪魔の顔に見えなかった。持って生まれた人の良さのようなものが顔ににじみ出ているような気がした。沢尻さんは周りの人にこの役を薦められたそうだが、沢尻さんの性格というのはまず気の弱さがはじめにあり、次にその裏返しである虚勢を張った激しい強がりみたいなものを感じる。本来持っている性格は良くも悪くも純粋で自分に自信がなくて気の弱い女の子なのではないだろうか。まあしかしそこは女優さんだけあって自分の悲しみとりりこの悲しみをうまく共鳴させて演じきろうという覇気は感じた。しかしもともと容姿が醜く、貧しく、取り立てて能力も無く惨めに生きてきた「持たざる者」のりりこは、自分にとって理不尽なこの世の中に対して激しい憎悪を抱いている。自分が今まで人にめちゃくちゃにされてきたように、自分以外の周りの人をめちゃくちゃにしてやりたいという破壊的な衝動をもっている。生まれもって美しいせいだろうか?沢尻さんはりりこのように発狂はしていたが、その狂気には「憎悪」とそれに起因する「絶望」を感じなかった。余談だがもしかしたら沢尻さんと寺島しのぶさんのキャストを取り替えたら面白かったかもしれない。あくまでキャストを内面的な視点で決めた場合だが。(沢尻さんにはどちらかというとMが似合い、寺島さんにはSが似合うような気がしたので)りりこを演じるのにはドSになりきれる人であることが絶対条件だと思う。

  • 20

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    この作品を観て「よくわからない。おかしな整形女がおかしなことするだけじゃない?」という感想を抱いた人がけっこう散見されるが、そうなるのも仕方がない代物になっている。原作を穴が空くほど読み込んだ自分ですらそうとしか思えなかったのだから、原作未読の人ならなおさらだろう。いくつも乱立するエピソードがどんどん束となって最後一つに収束していくネーム力の凄さが完全に殺がれてしまった。(これに限らず漫画の実写化なんてそんなんばっかだけど)脚本は原作のネームをそのまんまセリフに持ってきただけで、流れや文脈、そして何より「現実の人間が口にすること」をまるきり考慮してないので不自然すぎる。特にキザでインテリの検察官麻田のセリフが生身の人間が言うにはあまりに噴飯レベルの臭さで、「いかにも用意された言葉を喋っています」という不自然さしか感じないのだ。映画が始まって5分辺りで、「いいね、朝のコーヒーは。カップの中に漆黒の闇が溶け込んでいるようだ」と言ったところで、早くも笑いがこみ上げてくる。他にも「彼女の美しさはイメージのモンタージュ。つまり我々の欲望そのもの。人々の望み通りに踊り羽ばたく。例え自分の羽根が撒き散らされた上でしか、それが成立しなくても」とか…。漫画では成立するりりこを「タイガー・リリー」と呼ぶアレも、不自然極まりない。「表面は美しい。けど中身は虫に食い荒らされている果実。だからこそ惹き付けられるのか。いずれ朽ち果てるのを皆知ってるから」なんて、助手の女口説いてんの?としか思えない。そもそもあの90年代的資本主義における「欲望」と「近代的女性」いうテーマに切り込んだ原作の時代性も考慮できていないので、今の若い女性が観ても何が起きているのか、そもそもりりこはなんであんなに必死なのかわけ分からんはず。だって今じゃ95年当時より整形の技術は進歩し、より身近なものになり、特に韓国なんかじゃ整形手術はもはや社会でそれなりにやっていくための当たり前の「お直し」となっているのだから。もう時代が変わっている。写真一枚撮るのだって、ハード・ソフト両方の進化でプリクラ機やスマホアプリでいじくるのも当たり前。自分がよしとする自分にムリヤリでも近づけるのがもはやお作法。「全身とはいえ、整形くらいで何でこんな大げさな扱いなの?」と、今時の皆さんは思うだろうね。脚本家も監督も思想としてはぺらっぺらな三流であると言い切ってしまおう。とりあえず話題のエリカ様使って話題になりそうな原作使って(安野モヨコときたらオカザキでしょ、という安易さも嫌)カラフルでオサレーな画面作ってはい、おしまい。モデルとしては芋っぽすぎるエリカ様もアレだけどマネージャーが寺島しのぶってのも嫌だった。りりこと同世代だけどフツーな生き方してる人間だからこそ対比として生きるキャラだったのに。さくらんでもそんなだったけど写真家だけに、そのまんま絵に起こすしか能がないんだなーってよくわかる。主題歌が浜崎ってのもズレた選択だし。今の浜崎は嫌われているのではなく笑われているんですよ、もはや。抜擢が10年遅かった。自分なら中森明菜のTATTOOとかTANGO NOIRとか、あとはStockやFemme Fataleあたりから選びます。まさにトップアイドルであり時代の娼婦でありゴシップメディアからの嫌われ者である彼女こそふさわしいし、そんなテーマの曲をいくつも歌っているので。DESIREなんてそのまんまでしょ。ていうかさ、原作で実現しなかったビートルズ「ヘルタースケルター」の使用許可を取ってきなさいよ大金積んでさ。それだけで原作読み込んでないとわかるってもんです。

  • 100

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    モデル、アイドル、女優、日本の女性のあこがれの象徴であるリリコ(沢尻エリカ)は実は全身整形の造り物。免疫抑制剤を飲み続けければその美しさを維持することはできない。プロデューサーの「ママ」(桃井かおり)は、全てを知ったうえで、リリコをスターの地位まで登りつめさせた。しかし、薬でもリリコの美は維持できなくなってきた。また、クスリが彼女の精神を壊し始める...メイキングで沢尻が語っていますが、いろんな人から、ヘルタースケルターは沢尻にぜひ演じてもらいたいと言われたらしいです。監督の蜷川実花も最初から沢尻前提で作品つくりを始めたようです。沢尻の「強く、弱く、不器用な」イメージが、リリコに合致しているからだそうです。沢尻本人は、リリコと自分は違うので同化はできなかったと言っていますが、実際に見てみると、本当に沢尻のイメージそのもので、確かに彼女以外にこの役は考えられないと思います。レビューではさんざん酷評している人が多いですが、映像の美しさに限って言えば、趣味や好みはいろいろあるにせよ、これだけ「魅せる」美術はないと思います。リリコの部屋のインテリアの多くは蜷川実花の私物だそうですが、監督が本当に好きで、好きなものを撮っているからこそ、これだけ美術が、「生きて」伝わってくるのだと思います。「なんで窓がないんだ」とかそういう実用本位なコメントは無意味です。本当に自分の好きな世界を作って、その中に常に自分をおいていたい。なかなか実現できる人は少ないと思います。美術に関しては、決してオリジナリティがあるわけではないですが、こってりした赤を基調としたベースに、あえて下品な(デカダンス的な)豹柄、木馬、エロチックな巨大な唇(まるで、サルバドール・ダリのよう)を配置しているかと思えば、それを浄化させてバランスをとるかのようなマリア像。悪趣味と芸術のギリギリの境界線。原田美枝子演じる整形外科医を、検察庁の大森南朋が追うというサブプロットがありますが、これは、全く機能していません。リリコの過去を知っていて、敢て裁判で証言を依頼しますが、脅迫もできず、整形外科医を追い詰めることもできず、中途半端で終わっています。大森の役割は、本当は、原田美枝子を追い詰めようとしているうち、リリコに惚れてしまい、最終的に彼女を地獄のスパイラルから救い出さなければいけなかったのではないですか?マネージャーの寺島しのぶの役はおもしろいです。沢尻のワガママに振り回されるだけかと思いきや、M気があり、沢尻に対してレズビアン的な恋愛感情を持っています。彼女は、浅くて弱い心の持ち主だから、より若くて登場した水原希子にキメられて、乗り換えなけばならないのですが、その決定的瞬間もなく役目を果たせないままです。なにせ原作を読んでいないのでよくわかりませんが、開いた伏線をキッチリと閉じないで終わってしまうので、すごく消化不良になってしまうのです。そういう映画作品としては不完全なところが多いですが、蜷川実花の強さを充分発揮した個性のある作品になっていることは確かです。女性にとって一番恐ろしい、女としての美しさが失われる「老い」のコワさが隠れたメッセージですね。木村佳乃主演の作品「おろち」も女の老いの恐れを描いた佳作ですので是非みてください。ちなみに、リリコの存在が崩壊するときに童謡を流したり、クライマックスにクラシックを流したりするところは、庵野秀明のエヴァをまねてますね。

  • 80

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    ヘルタースケルター 手塚治虫文化賞も受賞した岡崎京子のコミックが原作。16年前の東京が舞台。美容整形、消費社会。当時と今。沢尻エリカ主演、蜷川実花が『さくらん』以来五年ぶり二作目の映画作品として監督をつとめる。沢尻エリカと「りりこ」という運命的なマッチング。 蜷川実花といえば、2001年に木村伊兵衛写真賞を受賞。「映画をやらないか」とオファーを受け、「彼女の写真が動いたらどうなるのか」というビジュアルへの期待と「女性のリアリティを表現する事」を求められていると分析する。候補として浮かんだのは「漫画家の岡崎京子さんと、安野モヨコさんの二人の作品の何か」ということ。初監督作品となったのは安野モヨコの『さくらん』。時代劇は時代考証が難しかったり、予算も少ない、初監督作品としてはハードルが高いと言われていた。しかし彼女の無謀ともいえるデビュー作での挑戦は成功した。浮世絵をベースにした美術や衣装によって独特の彩色美が目を引く「“になみか”ワールド」を映画の中に作り上げた。禁じられた愛に潜んだ女の心情を、吉原の女に投影させ描写した。 脚本を手がける上で、一番気を使ったのは共有できるかどうか。90年代の原作の世界を10年代を舞台に描くことによって映画としてのリアリティーを構築した。ファッション業界のノリや空気感は自らの経験をもとに蜷川が手がけた。心配されたのは、ファッション業界に身をおく者ならば経験として知っているため共有できる認識や、その最先端を行くりりこの心情に観客が感情移入できるかどうかだった。しかしその点に関しては蜷川には勝算があった。どんな女性の中にも「ちいさなりりこ(タイガー・リリー)」は存在すると確信していたからだ。繊細な女子と猛禽系女子が同居したような、子猫と虎を同時に内包しているという意味で消費されていくという括りでは女性も同じ。「内面の美しさが外面より大事」「女性は強くなった」と言われても、まだまだ女性は女性は弱い立場。見た目で判断されるし、値踏みされる立場。“女性にとっての美しさとは何か”“小さなこだわり、タイガー・リリー”。その一点に絞ったこだわりがこの映画には軸として貫かれている。軸をもとに、ある人には共感を、またある人には女性のエグさを感じ取ってもらえたら良い。二段階のラストシーンに象徴されるように、様々な段階の女性の美しさが描かれている。全身整形で作り上げられた美しさ、崩壊して行く過程での儚げな美しさ、ラストの妖艶な美しさ。一言に美といっても色々な美しさがある事を感じさせられる。 後先考えず、不器用にも前に突き進んでいるりりこ。その姿は『止まっちゃいけない。進むのだ』というファッション業界や女性に共通する通念と消費される側の焦りの気持ちが合わさっているようにも見える。 キー・ビジュアルは“唇”と“蝶”。前作『さくらん』の時は金魚出会ったように、好みのビジュアルをキーとして入れる事で物語を膨らませる。 「みんなすぐ忘れる……」という台詞。 全身に巻かれた包帯が少しずつほどけていく、りりこの誕生のシーンから本編は始まる。 “ハイ・ファッション”をリアルに追求した。劇中に登場する雑誌は現実にも存在するもの。各媒体に協力を仰いで実現した本物。蜷川自身が撮影した“人気絶好調の、りりこ”が表紙の雑誌が劇中にも巷にも出回るというクロス・オーバーも実施された。

  • 80

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    当時の沢尻エリカがどのような荒れっぷりでどのような立場に居た女優かを知っていて、その上でこの映画を見ると、虚実皮膜の間という言葉はこのような映画の為にあるのではないかと思ってしまう。あまり出来のいい映画ではない。特に脚本はかなりお粗末で、シーンがぶつ切りでただ配置されているだけという印象を受ける。ただその1シーンの中に込められた情念のようなものに、私は毎回泣かされてしまう。りりこの台詞は、りりこが言っているのか沢尻エリカが言っているのか分からない時があるし、原作に無く映画版に追加された台詞は、果たして映画の中の人物が言っているのか、蜷川実花監督本人の言葉なのかが分からなくなる時があった。私自身、クリエイティブ方面の仕事をしている人間であり、「きれいでいること(見た目に限らず、きれいなものを作らなくてはいけないプレッシャーということだ)」に、どんな苦しみが付いて回るかはよく知っている。その苦しみをスクリーンの中で沢尻エリカに叫ばれた時、どうしてもぽろっと泣いてしまうのである。結構駄目な映画だとは思う。特に脚本はもうちょっと頑張って欲しかったし、映像的にも少しぐらいは引き算をしてほしかった。ただこれは美しく綺麗にあろうとする事がどんなに残酷か、についての話であって、写真家として、延々と薄皮一枚の綺麗さだけを求める仕事をしてきたであろう監督、その本人がこのテーマで撮るということ、それだけでこの映画にはある種の説得力が成立してしまうと思う。テーマ勝ちだよなと思う。脚本上の説得力など無くても、「沢尻エリカ」が、「蜷川実花」がこの台詞を叫んでいるんだと思うと、もうそれだけでそこには説得力がある。……中の人が駄々漏れの映画って、良い映画とは言わないよなぁという事は重々承知の上で、それでもシーンの一瞬一瞬に感情移入出来てしまう身の上の人間としては、どうしてもこの映画は嫌いになれない。というか好きだ。(羽田は原作よりかなり駄目な女として描かれていたが、その駄目っぷりも何かこうあるある感があって好きだった。 綺麗な人にコバンザメのようにくっ付いて行く人って実際いるし、 羽田の駄目さのお蔭でりりこのヒステリーにも一種の説得力が加わったような気がする。 りりこは友達の居ない女で、自分の信奉者ぐらいしか頼れる人間が居ないけれども、 信奉者は友達でも恋人でもなく、彼女は信奉者と一緒に居ても益々孤独になるだけ、 という図式は、結構世の中にある構図な気がする)

  • 100

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    これは、エンターテインメント(映画)ではない、事件だ。現実の芸能界も、女優も、女性たちも、こんなふうにめまぐるしく狂おしく、生きているわけではないけれど、同じ疑問を持っている。同じ狂おしさを感じてしまう。沢尻エリカという、現実の中に空いたそんな深い穴に足を取られてしまった女性が、こんな役を淡々として演じたという事は、現実を支配している閉塞感とのあからさまな対峙を意味している。そんな映画をドラマチックに演出しようとしたとしたらまさに陳腐だ。薄汚れた路面に浮かぶ都会の輝きの息苦しさ、そんな街並みの異臭をまとった幻想を、肩ひじ張らずに見せているこの作品の中の人物たちは、誰しもが、役者と言うものを生業にしているというにすぎないただの人である。この作品は、期待以上に期待どおりの世界を見せてくれました。りりこのマネージャー羽田役寺島しのぶが、何を演じようとしているのかをわかるべきだと思います。女を脱がせて金にしようと群がる世間の思惑に対して、他人を汚して消費するだけの行為を否定し、同じ女性として守るべきものを探し、共に叫ぼうとする舞台を用意した監督、ニナガワに拍手を送りたい。寺島が演じるのは沢尻とともに舞台に立つためのニナガワ自身の一部でしょう。寺島の経歴に沿った何ともあけすけで残酷なキャスティングです。女優は皆自分を削っていく。本作での寺島しのぶの評価は高いものとなる事でしょう。この監督は女性が守り抜くべき本当の美しさとは、嘘のない真っ直ぐな叫びにこそ宿るものだと信じているのでしょう。女性の命である美の源泉とは結局、不器用なもの、ダサいものなのです。りりこの写真集復活が意味するもの。それは、なにもかもが嘘であろうと、汚されていようと、その叫びに一点の真実が生まれることが出来たなら、すべてを塗り替えていく力になるはずだということ。沢尻復活への希望ともとれる提案です。生きるという事は汚れていくことです。たとえ生まれながらに美しくとも、避けて通ることはできない。美しかろうとそうでなかろうと、結局たどり着くところは同じなのかもしれません。美しい女とそうでない女との見事な合作に変貌した本作の魅力にも気付いていただきたいものです。「事件」であるこの作品は、だから現実を忘れたい人には向きません。監督が饒舌に語る必要が無い作品になっています。フィクションの存在意義は、エンタテイメントであることよりも、写実を超えた写実表現であることなのだと感じます。

  • 80

    manga_review

    人間が壊れていく。 身体も、心も。
    「あたしはもうすぐ使いものにならなくなる もっと長くもつかと思ってたけど……意外と早かったなあ」
    全身を作り変えるほどの整形手術で美貌を手に入れたトップモデルが、
    手術後の激しい後遺症とストレスに悩まされ、蝕まれて、落ちていく様を描いた作品。

    平然とした中で進行していく狂気。 ちょっとした歯車のズレ。 少しずつ、確実に忍び寄る崩壊の時。
    こういう話を描けば、この作者の感性に勝てる人っていないんじゃないでしょうか。
    暗い話でありながら暗さを感じさせず、辛い話でありながら辛さを感じさせず、
    痛くないナイフで身体をえぐり取られていくような感覚。

    りりこは自分が破滅に向かって歩き続けていることを知っています。
    自分が期間限定なのを知っています。

    ただ、これを悲劇の話だとは感じませんでした。 むしろりりこの強さに唸らされました。
    その強さは、男性では決して持ち得ない、女性ならではの強さ。
    限界が目前に迫り、りりこはさらに美しく輝きます。
    「りりこがいちばんキレイだったのって、この頃だったかもしんないって思うんです」

    そんな中、りりことは違う世界に生きる特別な存在、吉川こずえを出すことで、
    りりこという存在がさらに際立って見えてくるから凄いです。
    「人間なんて皮一枚剥げば、血と肉の塊なのに」
    その皮一枚が本当に若くて美しく、自分への自信が全く揺るがない、吉川こずえ。
    そうではなかった、りりこ。

    一般人と対極のところにりりこは存在し、あんな風にはなりたくないと思い、
    でも一方で、心のどこかで共感、羨望してしまう、そういうものをりりこは持っているのでしょう。

    りりこの脆さ、りりこの弱さ、りりこの逞しさ、りりこの美しさ。
    りりこの強さ。

    誰もりりこにはなれないのかもしれないし、誰でもりりこになり得るのかもしれません。


    未完終了ということにはなっていますが、一応の話の決着はついています。
    どこか含みを持たせるような終わり方ではあるものの、こういうのもありかな、と思わせてくれます。

    タイトルはかの有名な曲から取ったのでしょうが、元々の意味は「すべり台」であり、
    「狼狽」「混乱」の意味も併せ持つとのこと。
    人間が転げ落ちていく様を表すのにこれほど適した言葉も無いのかもしれませんね。

  • 100

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    なぜ、この作品を酷評するのか、私にはわかりません。私は原作を知らず、DVD購入で観ました。アクの強い、毒の強い、とても個性的な作品です。表面的には。でも、その奥はとてもナイーブでデリケートな世界が描かれていて、そこに意識を向けながら観ていくなら、充分理解できるし、なんとも言いようのない魅力がこの作品にはあります。これはエロスではないです。りりこというひとりの表現者が、誰よりも美しくあろうと必死に生きたその生き様が描かれています。りりこにとって、美しくあることが、愛されるということであり、自身の存在意義だと思っていました。でも、全身整形じゃなくとも、美は永遠じゃありません。誰でも年はとるし、老け衰えていく。ただでさえそうなのに、りりこの場合は無理な全身整形を繰り返した結果、不自然に壊れていき、やがてそれをごまかしきれなくなっていくのです。世間のことも、自分のことも。そうして一度は壊れ、そしてりりこ本人も自分を壊すことにしたけれど、結局りりこ自身も想像していなかった「その後」の人生をしたたかに生きることになります。刹那的な美にしがみつき、必死に生きたりりこは伝説になりました。彼女が抱えていた葛藤、不安、恐怖、そしてプレッシャーは、彼女とごくごく身近な人が知るだけで、世間は伝説となったりりこしか知りません。美を得たいという気持ちには、きっと多くの人が共鳴できると思います。でも、りりこの居た世界は普通の世界ではないので、彼女の生き様や悲鳴は、理解できたりできなかったりするかもしれません。りりこが「ママ」と呼んでいる桃井さん演じる社長が「いろいろあったけど、あたしはあの子が好きだったわ」と言ったとき、いろんな気持ちがこみ上げてきて涙が出ました。りりこが本当はこんな風に、誰かに言ってもらいたかったんじゃないかと思ったからです。りりこ役の沢尻さんの体当たりの演技は必見だと思います。多くの人がりりこが沢尻さん本人に見えたと書いていますが、それは沢尻さんがそれだけりりこというキャラクターを理解し、それを忠実に表現しようとした結果だと思います。まるでりりこを自分に憑依させていたかのような演技のように感じました。だから、きっと沢尻さんも精神的に大変だっただろうと思います。表面的な部分だけにとらわれずに、感性をフル回転させて機微の部分を感じながら観てほしい作品です。

  • 60

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    B級カルト映画っぽい。でも沢尻エリカさんが主役でこれでもかと体を張ってる。漫画っぽさはしっかり出ています。ファッションが大好きなのは解るけど、モデルだからって洋服を細かく取っ替え引っ替えしすぎ、でカラフルなウィッグや60'sなファッションがいまいち90年チックで何かダサいかな、と感じる絵が多かった。絵が決まらないって言うのは映画ではもう決定的で、鈴木清純監督らとの差を感じてしまった。細切れカットの詰め込み映画と言うか、ショートストーリー仕掛けのCMをいくつも繋げて見てる様な。世代交代を感じて薬に依存してく様、心身が壊れていく様の描き方が雑と言うかツルッと滑る様に簡単に描かれていて残念です。見処でもあるんでしょうが、sexシーンを減らした方が良かったんじゃないかと思う。蜷川監督は「薔薇の葬列」みたいな物を残したいんだなぁと見ていたら、ラス前でパロディの様な事をしているし、(なので監督ではなく原作者が「薔薇の葬列」と同じ結末にしたかったらしい。)女版「時計仕掛けのオレンジ」感を漂わせつつ、ラストにやっぱりそれっぽいメイクをしたリリコの登場で終わる。(その舞台になるクラブも無理やりっぽい。原作がそうなのでしょうか)でも、昔それらの映画に受けた様な衝撃や狂気、カッコよさ、トラウマになるエグさを感じなかった。コンプレックスと欲の塊の女の子がプロダクション社長に上手に着せ替え人形役に利用されて、歳をとるに連れて薬に潰れたっていうお話しで、一時ヒット商品としてもてはやされても流行として消費される無慈悲さとか存在を忘れら去られる孤独に対する激しい恐怖とか、そんな無責任消費社会の光と闇なんちゃらまでは、残念ながら言うほど深くは感じなかったです。もう少しリリコのクールさと脆さが丁寧に描かれてればなと思った。ヒステリック女なのは良く解りましたが。ただ沢尻エリカは何も悪くない。女優さんとして説得力を感じるし、若い女優には珍しく存在に迫力がある人だと思う。こんな役やるなんて同情する。そして起死回生の一作でお見事でした!とにかく映像が派手なので、作り手にはこの映画は大きな挑戦だったであろうことは感じるけれど、表面的な物に拘りすぎてつまらなくなっているのがちょっと残念です。

  • 80

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    要約すれば、他者に受け入れられたい。他者に認めてもらいたい。他者に愛してもらいたい。ゆえにポチャ専風俗嬢が全身整形をしたが、壊れ、墜ち、しっぺ返しを食らう。という話。……なのかな?見失いがちであるが、キレイになることは「手段」であり、愛される・必要とされることが「目的」である。「お前はもう要済みだ」の桃井かおりはイイ味を出していた☆日本のブームの廃(すた)れる早さは特に著しく、こういう象徴的なマスコットは使い捨てでコロコロ入れ替わってしまう。またニセモノ、類似品、整形というモノに対して毛嫌いする潔癖性を表すのがコノ国の国民性である。持ち上げに持ち上げて、整形と解るや手のひらを返し、リリコを罵倒し、人知れず美容クリニックに足を運びプリクラで目を大きめに編集しツケマツゲやアイプチで自らを改造し誇張するJKたちの表と裏の描写は「(日本)っぽい、っぽい」とうなずいてしまいました。メスを入れなきゃOKっテか?それとも、おのれのカラダは痛めないで~みたいな「保身」というヤワなプライドかしら?五十歩百歩。ヤッてるコトは同じなのにおのれのコトは棚上げでリリコを見下し、また同時に周りから浮かないように、仲間から外されないように足並みを揃え、顔色を同化させながらおのれの「美」を磨き続ける。そんなアンチテーゼにも似た、社会風刺的な、皮肉的な描写…………、う~ん(+_+) この映画に必要……だから入れたのかしら?(+_+) う~ん(+_+)リリコですが、この、美しく、傲慢で、脆く、弱い、難しい役柄を沢尻エリカが見事に演じ抜いていると思います。ヌードや濡れ場が先行しているので話の本質は見えづらく、またこの監督独特の美的センスが「色彩の暴力」となって視覚的に思考を鈍らせてきますが、話としては悪いモノではない。良くもないけど(+_+)女と男とでは乳幼児期から育てられ方・扱われ方が異なるので女性が女性視点で作ったコノ映画を観ても男としては理解は出来ても決して納得は出来ないモノであるテーマだと思います。それでも、沢尻エリカの魅力、実力を再確認できる映画として評価はできます\(^_^)/ただ、崇高な映画、ではないザマス。別に……(+_+)

  • 80

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     最初に、沢尻エリカの裸が拝めるからと鼻の下を伸ばして見ようという人に注意しておく。そんな気持ちで見ていたら、映像からしたたかに平手打ちを食らうこと必定である。 ポスターを見た瞬間、日本の映画館の現状では、このキッチュな映像感覚、就中、色彩感覚は再現不能、と判断してブルーレイの到着を待つことにした。幸い、定評あるSBMV (Super Bit Mapping for Video)が適用された良心的なソフトで、案に相違してキー・カラーの赤の再現性は上々である。こんな状態が続いていると、この国から映画館という小屋は絶滅するに違いない。映像も音も、ホームシアターの水準に劣っているのだから(THX認証を受けていても大同小異)。それで「みんなで暗闇の中から見つめるカツドウ」という環境がこの国から滅びてしまっていいのかどうか、もう少しは真剣に考えて欲しい。 内容に戻るが、一言で「赤」といっても、描き出された赤のバリエーションはおそろしく豊かで、その氾濫は時として人を倒錯へ誘う。その中を突き抜けて疾走するのが沢尻エリカである。演出家は彼女の疾走を、もっと忠実かつ執拗に(さすがに、窪塚洋介との性行為を、石井隆ばりに睨め回すように、とまでは言わないにしても)追いかけた方がよくなかったか。 残念なのは、原作に配慮したか、それとも各種の規制を慮ったのか、妙なお涙頂戴のシークェンスが映画の流れを悪くしてしまっている。特に、ラストの1カットは、はたしてリリコが没落したのかどうか見る者に激しい衝撃を与えて秀逸で、映画のタイトル「見世物小屋」の主(あるじ)は、終始一貫して徹頭徹尾、リリコだったのではなかったか、と強い印象を与えるだけに残念至極である。それ故、惜しいところで「カツドウ」になり損ねた。 ただ願わくば、WOWOWで放送するときに、タブーとされる見世物小屋のアイテムを割愛して、うわべだけをブラッシュアップしただけの「ディレクターズ・カット版」などを作って欲しくはない。

  • 20

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    例のごとく真っ赤っかの極彩色映画。近年稀に見るクソ映画です。これはひどい。頑張って最後まで見ましたが、最後は怒りが沸いてきました。象徴的なのは麻田と部下が事件について話し合っているシーンです。あれが蜷川実花の限界をよく表していると思います。この人、映画撮れないんだなあとわかった。麻田のシーンは何度か挿入されますが、最初はギャグかと思ったので、「あ、もしかして本気でこれ作ってるのか」と気づいて薄ら寒い気持ちになりました。視覚的愉悦という映画ジャンルはあってもいいと思います。沢尻エリカは美しい。それを愛でるのは、別段彼女のファンでない私でも楽しいだろうと思う。蜷川実花が本懐とばかり一番力を入れたのはそこだろう。なのに!!それすら見せ方が下手過ぎる。雑誌の表紙やスチールの撮影風景を連続的にしつこく見せるんだけど、全然ダメ。快感がない。繰り返しすぎだし挿入するポイントも間違っている。こういうシーンはそれ自体は見飽きたものです。例えば、『ドリームガールズ』のビヨンセの結婚後のシーン。雑誌やポスターを飾るビヨンセ、その撮影風景のビヨンセを差し挟みながら、彼女の成功を説明しつつその美しさをたっぷりと堪能させます。『雨に唄えば』のbeautiful girlのファッションショーも、効果としては同じでしょう。どうだとばかり観客の目を楽しませる。沢尻エリカの美しさなら、それは十分可能です。なのに、演出とテンポのまずさで台無しです。あのシーンはある程度止め絵も必要だった。動かしすぎです。あと、言っちゃ悪いけどスタイリングも悪い(笑)。あんなに尺とってるのに不完全燃焼って、よっぽどです。蜷川実花の映画で期待できるのはそこだけなのに、そこ失敗する!?驚き呆れました。周囲にはイエスマンしかいないのかな。蜷川実花の写真は好きではありませんが、ああいう世界観の需要はわかる。でもあれじゃただの、沢尻エリカの無駄遣いだ。オナニーはせめて写真でやってほしい。もう動画ではやるなとしか。

  • 40

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    辛口の批評が多かったので、もっとひどいかと思ったが、それほどでもなかった。でもはやはり2つ★。沢尻エリカはとてもきれいだった。でも彼女の世間をにぎわせたいわゆる「エリカ様」という「素」のイメージがなければ、原作の「りりこ」とは方向性がだいぶ違う。原作にすべてが縛られる必要はないが、やはり、りりこにはもっと強さがないと、話の展開からいって、当然インパクトが薄い。沢尻エリカは、見た目が本当に可愛らしくて、というか可愛らしいだけで、りりこの追い込まれたが故の行動に説得力が感じられない。セックスに対する下品さも大胆さも、りりこの強さと真の思いや切迫感が伝わってこないと、全く意味のないただのバカ騒ぎの連続にしか見えない。りりこの弱った部分、心身ともにハチャメチャに苦しむ彼女をもっと描かないといけなかったんじゃないだろうか?残念ながら、とても綺麗な沢尻エリカは、しゃべると台無しだ。セリフに何の強さも感じないので、しゃべった途端にがっかりするくらい映画の格が落ちる。それは監督の責任なのかもしれないけど。映画の最初はテンポもよく、生き生きと、上野耕路のおしゃれな音楽(音楽は良かったなあ!)と相まって、すごく期待した。でもだんだん、全てがほころびていった感じで残念。検察官もとても重要な役割なのに、検察官が登場する場面はなんだかさらっと何の工夫もなく、まるで予算のないテレビドラマの一場面みたいになっていて、ここもがっかり。原作を知らずに映画を見ると、何が言いたい映画なんだか、よくわからないのではないだろうか?個人的には、キャスティングにも大いに疑問だ。寺島しのぶはないだろう???寺島しのぶは好きだけど、この役割はもっと適役がいたんじゃないのなあ?きんちゃんもねえ???原作コミックは白黒だけど、もっとギラギラパワフルで、読み終えての余韻が半端なかった。この映画にはそれがまったくなくて、残念です。

  • 100

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    プライムで観ました。低評価なレビューが多いですが、テーマをよく掴んだ作品だと思います。中身がないとか意味がわからないとかありますが、そもそものテーマはうつろいゆく曖昧で不確かな流行や価値観や失われ行く美なのだから、からっぽな印象で良いのだと思います。イミテーションの世界を、よく表現されていると思います。映画通のオジサマ方には分からない世界であって当然だと思います。はいて捨てられるkawaiiの世界です。蜷川実花こそ、作り物、流行りものの女の子を作り上げてきた側ですから、それがあっけなく滅び去ることも数々見てきたと思うのです。女子高生達の何を言ってるか分からないモブもあれでいいんです。よく分かんないのにkawaii騒ぎ立てる世界なんです。そしてすぐ忘れる。内容はないのです。その象徴としての浜崎あゆみの曲‼よくオッケーしたなと思いますね。まさに頂点まで持て囃されてあっけなく使い捨てられた人です。最高に可愛くて大好きなものがダサくなってしまう哀しみ。少しでもきれいになりたいという女の欲望。薄汚いものをキラキラした映像に散りばめるのはさすがだと思います。どちらかというと、蜷川幸雄さんの蛇とピアスのほうが無理があったなと感じますが。あれこそ若者を切り取ったテーマですから、リアル世代に遠い監督だと肩透かしでしたね。そして何より、沢尻エリカの演技力、作品愛がよく伝わる素晴らしいものでした。若手女優でりりこができる人は彼女以外いませんね。原作のりりこをよく理解しての演技だと思いました。もちろん原作が1番だとしても、日本の女の子の作り物崇拝と絡めた素晴らしい表現だと思います。さくらんよりもこちらのほうが本職と関わるからかずっといいです。監督の持ち味が出ています。実在のファッション業界が全面協力なんて、小気味いいじゃないですか‼レビューで誤魔化されずに、まずはご覧になってはいかがでしょうか。

  • 60

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    岡崎京子さんの原作の中から、おそらくは監督が理解出来なかったものはごっそっりと削られている。なので、りりこが消費社会に食い殺された可哀想な女の子になってしまった。岡崎版のヘルタースケルターでは、りりこは自分が消耗品であることを自覚しつつ、自分を消費し続けるなにかと戦い続ける女の子だった。ゆえに登場人物の中では彼女を唯一正しく理解していた麻田はりりこをタイガーリリーと呼ぶ。タイガーリリーは童話ピーターパンの中で、自分の意思を貫き通す強いインディアンの娘だ。麻田のつけた徒名が示すように、岡崎京子さんは原作の中で欲望の装置として消費されるりりこを否定しない。欲望を肯定し、無限に消費し続けるだけの社会にさえ、最早否定的な眼差しを向けない。まるで、それがなんだっていうのよ、と言っているように。どれほど欲望が世界を食い荒らし、りりこのような存在が右から左に消耗されて行こうとも、それでもりりこだって生きることをやめるわけにはいかないのだと言うように。そうしてそれは、岡崎版のへルタースケルターにとっては重要なテーマではなかったか。この映画版は、物語として一応の破綻は免れている。ただ原作の中から、現代の我々が何を消費しているか、消費される側の葛藤を通して描き出したところで映画は終わってしまっている。それは少し残念なことのように思えるのだ。蛇足だとは思いますが、物語中、麻田が語る「15分後には忘れてしまう」と言うセリフの15分は、「誰でも15分は有名になれる」と言うアンディ・ウォーホルの言葉が念頭にあるのだろうし、タイガーリリーと言う徒名のつけかたにせよ、麻田はインテリとして描かれているはずで、その辺、つまり麻田というキャラクターが担当していた物語の哲学的な面をざっくり削ってしまったのも残念ではありました。麻田とりりこの夢の中の会話とかね。ひどく表層的な物になってしまっている……。

  • 20

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    原作がよく、女性誌に名作コミックとして紹介されているので本を買って何度も読みました。初の実写化ということで楽しみに期待して見ましたが、つまらない。2時間見ていられなかった、途中早送りし、レンタル期間わずか一日で返却しました。バッシングされ、興味本位のマスコミによって会見に引っ張りだされた過去を持つ沢尻エリカさんとりりこの境遇は似ているし、冷めた目で世の中をみている雰囲気も似ていて非常に良いキャスティングだったと思います。でも、肝心の内容が全くない。撮影秘話、作成秘話の動画を見ましたが、まずこの監督は映画というものをあまりわかってないんじゃないかという印象を受けました。(私もそこまで詳しくないので偉そうにいえないのですが…。)蜷川監督は、もともとカメラマンです。途中、女性ファッション誌の表紙のりりこが瞬間的に次から次へと、これでもか、と映し出されるシーンがあります。「私は写真を生業にしているので、写真をおろそかにすると気持ちが悪い。ここで出した表紙は全部、出版社から協力をしてもらった。たぶん、今までの映画でこんなこと初めてじゃないかな。」と撮影秘話で、得意げに語っていましたが、こだわるところそこなの!?映画を撮るときには、カメラマンのこだわりは捨てるべきでは!?スローにしないとみえないようなシーンにこだわっても、それはただの自己満足でしょう。映画をみに行く人たちは、りりこの悲しみ、むなしさ、たまにみせるかわいらしい素直さ、そして、ひとりぼっちでも戦う強さをみたかったのだと思います。内容よりも、自分の欲求だけを優先したように思えて仕方ありませんでした。なんとなく、まわりのスタッフもイエスマンばかりのような感じだし、それでは深みのあるおもしろい映画は撮れないでしょうね・・・。原作者の岡崎京子さんは、ご覧になってどう思っているのかなあ?と考えてしまいました。

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    うーん、ひどい。監督の独特な色彩美もアレですがそれはそれで好きな人が大勢いるのだから特別問題視する必要はないと思いつつ、でもそれ以前に映画としてちょっとひどすぎる。というか監督の色彩美が好きな人でもこれは怒っていいレベル。見所は沢尻エリカの裸体を露出した演技のみ(熱演といえばいえなくもない)。寺島しのぶとか大森南朋とか鈴木杏とか結構な演技派を揃えているのにまったく活かしきれていないし、どんな演出するとこれだけアレな感じになるのか大いに疑問。あまり演技らしい演技をしてない水原希子やいつーもどおりの感じで出てる窪塚洋介&桃井かおりが若干よく見える程度。スカスカの脚本を取り繕うように流れるクラシック音楽は誰がどう見てもチグハグで後半のある盛り上げシーンを台なしにしてるとしか思えない。りりこ(沢尻エリカ)やこずえ(水原希子)が表紙を飾るやけにリアルな雑誌がバシバシ出てくるところにスタッフのドヤ顔が透けて見えるけど、そこにそんなにこだわるんだったらスポーツ新聞の一面のリアルさにも目を配ってほしい…。原作に忠実であろうとするあまり大森南朋の登場シーンとかほとんどコントの世界だし、テレビをつけたときに同じCMがずーっと流れてたり、そういう細かい部分に観客を小馬鹿にする姿勢が表れてる気がしたし、原作にも失礼。いちばんマズいのは上映時間。同じような(というかほぼ同じ)シーンや映像を時間をあけて何度も何度も繰り返すんだけど、それって作り手の想像力のなさを自ら見せつけているようなものでは…(特に女子高生の噂話シーンは工夫が皆無でびっくりした)。そんなことしないで90分におさめてたらまだ観れる作品になっていた気がします。原作ファンも映画ファンも役者ファンも頭にくるであろう誰得映画でした。

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